にわかtop  目次  自己紹介  河内にわかについて
 1
神代の時代
 1-1
 室町時代
 1-2
 秀吉の頃
 1-3
 祭 にわか
 1-4-1
  祭 にわか
 1-4-2
  カルタ
 1-5
  にわか 噺
 1-6
五七五 1-7  俳諧 1-8   川柳 1-9  にわかの要素
 1-10
句作り 1-11  例句 1-12

自己紹介

   河内にわかとの出会いと収集 

 私の生まれは大阪市の東南に位置する平野というところでありまして、
 平野は堺や博多と同じ環濠自治自由都市として古くから栄えていたところで、
 NHK大河ドラマの『秀吉』の時代には、堺の会合衆と同じく町衆によって
 自治管理され、特に有名なのは御朱印船貿易の末吉家を初めとする七名家が
 交代で庄屋郷主を務めておりました。郷社であります杭全神社の夏祭りは
 七名家の町ごとにだんじりを繰り出しけんか祭りとして有名です。
  私の生家はその町で合わせ酒屋を営んでおりました。今は酒税法等で 
 合わせ酒屋などは見受けられませんが、
 造り酒屋に対しまして決められた土地の
 酒を樽買い致しまして二種類の地酒を合成して自家の銘柄で売る
 銘酒屋でありました。そこには普段から利き酒人が出入りしており、
 その殆どが絵描きであったり物書きであったようです。その人達が
 レッテルを デザインしたり、包装紙を描いたり、広告を書いたりもしたようです。
  そして子供の頃の話ですが反古紙を襖屋さんが買いに来るとき、親父と
 立ち会ってこのような物を取り出して整理したのが、にわかに触れた
 最初でありました。親父はそれを毎週額に入れ替えをしては季節ごと整理して
 いったのですが、好事家や研究家、郷土史家に感心を受けると
 数枚ずつ預けたりあげてしまったりしていた様です。
  中学生の頃には郷土史研究を始めていたものですから家の古い物は
 自分の物にすべく整理帳を作成したほどですが、家の建て替えなどで多くの物を
 市立博物館や高校、大学の研究室に寄贈して しまいました。
 私はそれでよいと思っていましたし親父も進んで合わせ酒屋の道具類、
 兼業の車屋のフイゴ、たたら類、大福帳等の帳面類、酒のラベル、 包装紙類、
 作業服類まで私に適切に管理してくれる処へ持っていくよう指示も致しました。
  そのおかげでにわかが私の家だけでなく河内の旧家にあることも知り、
にわかがどのようにして出来、どうして繋り引き継がれてきて今に至るものかが博物館、
図書館、研究室へ出入りすることで分かるように なってきたのです。
その方向で大学は国文学に進みましたが研究は 続けたものの
 他に目移りがして、にわかは中断しておりました。


すし幸topへ  

sushiko@nike.eonet.ne.jp