にわかtop  目次  自己紹介  河内にわかについて
 1
  神代の時代
 1-1
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 1-2
 秀吉の頃
 1-3
 祭 にわか
 1-4-1
  祭 にわか
 1-4-2
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 1-5
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 1-6
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 1-10
句作り 1-11  例句 1-12

1-4-1

  にわか

 長い戦国時代がようやく集結、太閤秀吉による天下統一の大阪城時代には
刀狩り令や農地の検地令が発令される一方で寺社の修復や農業商業復興の
祭や市座の創設、遊芸見世物小屋の集結まで娯楽を奨励したことは大きく
人心を変化させ、産業改革というべき徒弟制度の職人町の形成、城下町の
基礎となる町造り、道路、河川の整備、港湾の建設で物資の交流が
増大するといった開発と発展のまさしく途上の時代であったのです。
 
寺社にまつわる祭りが管轄の偽政者側から無礼講と認可し、
町人商人が金銭を工面し、職人が祭舞台を作成し、そして農民が
労力を提供するプランが堰を切ったように各地に伝播する事になるのです。
 偽政者からすれば、農民の収穫祭で神への感謝祭の奨励で農業恒産、
季節ごとのハレの日の無礼講、職人は作品技術興隆の発表の場、
ややもすれば本業本職を超越した物作りの競い合いの場となり、
町人には音曲遊芸の鍛錬と庶民文化の担い手として育成、そして
商人には祭を支える費用の負担で小単位の町から、神社の氏子単位、
寺なら檀家集団の寄合制度に組み入れられて祭の創成となって、
隣組制度、同業組合、の相互管理・相互監視が得られ、犯罪防止、
一揆等の蜂起防止、商人の財産分散の為の物であったとも言え
三方も四方も両得として祭は栄えていったのであります。

 今に伝わる祭の基本はこの頃に出来たようで、寺社の歴史的な祭主と
その関係者が執り行うようになって、共食信仰が発展して
共有財産の持ち回りによる消費浪費を賞し、オリンピック精神に近い日本の
共同祭礼が生まれたのです。
 それには日常でないものが今では文化財とも賞される芸術性に富んだ色々なものが
祭りの中から出現してきて、並べればキリがないくらいで広範囲に及びます。

 音楽 (楽器、歌曲、詞章)、 舞踊 (所作舞、素踊、語り舞、曲舞等)
衣装、舞台、山車、屋台、人形、造り物、には諸式しきたりがあります。
それらを演出するものに、明かり(火、かがり)が欠かせません。
 まちがいなく日本の祭りには『ちょうちん』がついてまわり、
種類もいくつかあります。神を迎えるのに大切な印であったようで「提灯」と
いう字は当て字のように思われます。竹と紙で作られたものですが南方から
伝播してきたものでしょうが丸くしかもたたむことが出来る、その紙は
白く文字書き、絵描きが出来る、これも文化として取り上げることが出来ます。


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